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SPICY CHOCOLATEインタビュー 転換期を向かえるジャパニーズレゲエシーンを振り返る

AKB48に関する最新ニュースです。

日本のレゲエシーンは現在転換期を迎えていると言っていいだろう。1995年からスタートし、00年代の後半には3万人もの観客を集めるようになったジャパニーズレゲエの代名詞『横浜レゲエ祭』は、昨年初めて開催を中止。また、レゲエを若年層にまで浸透させるきっかけとなった着うた文化は、携帯からスマートフォンへの移行によって、その役目を静かに終えようとしている。そんな中にあって、これまでレゲエのイメージがなかった渋谷を拠点に、一人気を吐いているのがDJ CONTROLERことKATSUYUKIを中心としたSPICY CHOCOLATEだ。2009年にスタートし、ミックスCDのように1曲ごとにアーティストが入れ替わるステージで人気を博している『渋谷レゲエ祭』は今年、これまでのSHIBUYA O-EASTからSHIBUYA-AXへと規模を拡大して開催されることもすでに決定している。日本のレゲエシーンを黎明期から見つめ続け、チャレンジを続けてきたKATSUYUKIは、今何を思い、どこを目指しているのか? 「とにかく人と同じことだけはしたくない」という信念を貫いてきた男に、20年の歩みを訊いた。



■当時の日本はディスコが全盛で、レゲエとかヒップホップはワールドミュージックとして扱われている時代でした。

—そもそもCINRAでは、これまでレゲエを取り上げる機会が少なかったので、今日はレゲエカルチャー全般について教えていただけたらと考えています。まずKATSUYUKIさんが、レゲエに興味を持ったきっかけから教えていただけますか。

KATSUYUKI:遊んでた仲間のカーステレオから流れてたのを聴いて、「これなんなの?」って思ったのと、あとは気に入ってる女の子の好きな音楽がレゲエだったとか、そういうきっかけですね。

—最近の若い人はそういうことなかなか言ってくれないんで、なんか嬉しいです(笑)。

KATSUYUKI:好きな子がどういう音楽を聴いてるのかって、やっぱり興味持つじゃないですか(笑)。当時の日本はディスコが全盛で、レゲエっていうジャンルはまだ確立されていない時代でした。ワールドミュージックの中に、ヒップホップとかレゲエが一緒くたにまとめられていて、その中からレゲエがサブカル的に発信され始めてたんですね。

—90年代前半とかだと、今とは全然違うんですね。でも、そういうレゲエが認知されていない中で、KATSUYUKIさんはレゲエにのめり込んで行って、自分でもやってみようと思ったわけですね。

KATSUYUKI:そうですね。当時ディスコでユーロビートとかをかけてるDJたちは12インチのアナログ盤を回してたんですけど、レゲエは7インチで、一曲一曲を集めていく文化なんですね。だから、最初は「俺もこの曲欲しいな」って感じで自分の好きな曲をコレクションしていって、そこからDJをやり始めた感じです。僕は品川区の出身なんですけど、あのエリアには結構レゲエ好きがいて、「お前がこのレコード買ったんなら、俺はこれ買うぜ」みたいに競争してました。

—そのあたりにはなぜレゲエ好きが多かったんですか?

KATSUYUKI:昔『JAPAN SPLASH』っていう、ジャマイカ人のアーティストたちを集めた大きなフェスティバルが横須賀で行われてて、その影響はあったと思います。僕らの10コ上の世代とかはヒッピー文化もあったと思うんで、その流れの中で徐々にレゲエに火が点いたんでしょうね。日本語でレゲエを初めて歌ったのはランキン・タクシーっていうずっと年上の先輩なんですけど、それを見た人が日本語でレゲエをやり始めて、それを聴いてさらに僕らが出てきたっていう、ジャパニーズレゲエの流れがあるんです。

—SPICY CHOCOLATEの結成は1994年ですね。品川の仲間たちと始めたわけですか?

KATSUYUKI:そうですね。当時南青山にあったアフロマニアってクラブに入り浸っていて、そこのオーナーが「SPICY CHOCOLATE」っていう名前を付けてくれました。

—当時はどんな活動をしていたんですか?

KATSUYUKI:レゲエには、自分たちの自前のスピーカーを所有するっていう文化があって、まずはその「サウンドシステム」を完成させるところから始めて、あとはダブプレートを作ることですね。ダブプレートっていう、自分たちだけのスペシャルな盤を作ることによって、レゲエのクルーとして強くなっていく、それが当時の目標でした。

—今日の話の中で、横浜との関係性っていうのはひとつ軸になると思ってるんですね。後に『横浜レゲエ祭』を主催するMIGHTY CROWNが1991年から活動を開始していましたが、当時の彼らはKATSUYUKIさんにとってどんな存在でしたか? 仲間なのか、ライバルなのか、それとも目標だったのか。

KATSUYUKI:みんながみんなライバルだったと思います。その時代にみんなで競い合うことで、今の日本のレゲエシーンができたのかなって。90年代後半ぐらいからみんなの活動が盛んになって、00年代に入ると、『横浜レゲエ祭』だったり『HIGHEST MOUNTAIN』だったりで爆発したっていう。90年代に構築されたものが、00年代に多くの人に認知されて、受け入れられたことで、シーンとして成り立って行ったのかなって思いますね。

■あの時期にジャマイカと日本を行き来していたから、今の自分があるんだと思います。

—ちなみに、レゲエ以外のことに興味が移った時期もあったりしました?

KATSUYUKI:いや、ずっとレゲエどっぷりの人生ですね。一時期はジャマイカと日本を行ったり来たりして、向こうのアーティストをプロデュースして、全米をアッと言わせたいとか、そういう目標もありましたし。

—初めてジャマイカに行ったのはいつ頃ですか?

KATSUYUKI:90年代の前半ですね。ジャマイカはレゲエが生まれた場所というか、今も生まれ続けてる場所なので、実際どういうことが行われているかを肌で感じることが大事だと思って。あの時期にジャマイカと日本を行き来していたから、今の自分があるんだと思いますし。

—どんな部分で日本との差を感じましたか?

KATSUYUKI:発展途上国でもあるし、まったく見たことのない世界がそこにはあって、カルチャーショックを受けましたね。ケンタッキーフライドチキンを買ってお店から出てきたら、物乞いの子供10人ぐらいに囲まれたりとか、そんなこと日本じゃ絶対ないじゃないですか? ずっと東京にいたらお山の大将だったというか、「世界は広いな」って思ったし、こういうことがいろんな国で起こってるんだなって感じました。

—レゲエはレベルミュージック(反抗の音楽)っていう側面が強くあるわけですが、KATSUYUKIさんご自身も若い頃は社会に対する反抗心みたいなものがあって、それでレゲエに惹かれたっていう面もあったのでしょうか?

KATSUYUKI:まさしくその通りで、その表現の方法論としてレゲエがあったんだと思います。レゲエって、植民地からの解放を求めるジャマイカのパワー、秘めた反抗心とか、逆に愛とか、そういうものを音楽に込めて表現できるし、そういうことを自分もやりたいと思ったんですよね。

■流れて行っちゃった人たちがまた戻って来れる場所としての『渋谷レゲエ祭』っていう意味もあるんです。

—SPICY CHOCOLATEの話に戻すと、拠点を渋谷に移したのはいつ頃だったんですか?

KATSUYUKI:90年代前半はまだ渋谷にクラブが少なかったんですけど、後半になるにつれてクラブが確立されていって、そういう中で僕たちも、人が集まる渋谷にシフトしていきました。当時は「SPICY CHOCOLATE? 君たちなんなの?」っていうところから、自分たちでお客さんを集めて、ノルマを達成して、一つひとつやってきたっていう感じですね。

—今現在に至る直接的な契機で言うと、やっぱり2007年に初のコンピレーション『東京RAGGA BLAZE』を出したことが大きいと思うんですけど、そこまでには10年以上の歴史があるわけですよね? 誰にも認知されていないところから、少しずつ風向きが変わってきたのはいつ頃だったのでしょう?

KATSUYUKI:おっしゃる通り、『東京RAGGA BLAZE』をメジャーから出せたことが大きなポイントだったんですけど、それまでは最初にも言ったダブプレートを作り続けていて。でも、そのお陰で自分のプロデュース力が上がったし、初めてアルバム制作の話を提案されたときに、「これだったらダブプレートと同じ感覚で行けるな」って思えたんですよね。ジャマイカに行って向こうのアーティストをプロデュースしてきたからこそ、日本でも同じようなことができたんだと思います。

—ただ、00年代を通じて『横浜レゲエ祭』とかがどんどん大きくなっていく一方で、2007年まで目に見える形での結果が出ていなかったっていうことを考えると、かなり苦渋の時期でもあったと思うんですね。

KATSUYUKI:まさしくそうです(笑)。でも、それがモチベーションになっていたというか、やっぱり「人に負けたくない」っていう気持ちは大事で、いいライバルが消えちゃっても困るわけですよ。同世代で切磋琢磨することで、いい相乗効果が生まれて、今いろんなレゲエ祭があるんだと思うんです。

—ちなみに、当時っていうのはバイトをしながら音楽活動をしていたわけですよね?

KATSUYUKI:バイトっていうバイトはそんなにしてなくて、音楽を真面目にやるのが最重要だったので、例えば、日本で安く仕入れたカセットテープをジャマイカで売って生活したりとか、そうやってサバイブしてました。

—そこは仲間と共に、文字通り何とか生き残ってきたわけですね。

KATSUYUKI:そうですね。もちろん、時代と共にフェードアウトしていく人もいて、家族ができてそっちが生活の中心になったり、いろんな事情でここにいられなくなったり、いろんな人が流れて行きましたけどね。

—そういう中で、KATSUYUKIさんはなぜ信念を貫いてこれたのでしょうか?

KATSUYUKI:そういう流れて行っちゃった人たちの分も、自分が踏ん張っていなくちゃいけないなって思うし、流れて行っちゃった人たちがまた戻って来れる場所としての『渋谷レゲエ祭』っていう意味もあるんです。みんなが戻ってくるためのきっかけを残しておくのが、今でも続けてる僕の役目なんじゃないかなって思うんですよね。

■『渋谷レゲエ祭』はアーティストさんを主役にするんじゃなくて、お客さんを主役にしたくて。

—『渋谷レゲエ祭』のスタートは2009年ですが、何かきっかけがあったんですか?

KATSUYUKI:毎年アルバムを出せるようになって、それを発表する場としても、何か新しいことをしたかったんですね。横浜とか大阪とか、あっちこっちにレゲエのフェスがある中で、「東京には何でないんだろう?」っていうのはずっと思ってて、何とかしてフェスを作りたいと思ったんです。

—東京にはまったくなかったんですか?

KATSUYUKI:何個かあるにはあったんですけど、だいたい横浜をモデルケースにしたような感じで、東京出身の人間としては何となく嫌だったんですよね。やっぱり、人と同じことはやりたくなかったので、じゃあ、どうやって東京のオリジナルを発信して行こうかっていうところから、『渋谷レゲエ祭』は始まってるんです。

—それで、あのアーティストが1曲ごとに歌うスタイルになったんですね。

KATSUYUKI:『東京RAGGA BLAZE』を出すときに、やっぱりその種の作品も他にいろいろ出てたので、他との違いをどうつけようかって考えたんですね。そういう中で、あれは2枚組にして、1枚はオリジナルの音源が入ってる盤で、もう1枚をミックスCDにしたんです。それは今ユニバーサルさんから出してる『渋谷RAGGA SWEET COLLECTION』にも反映されてるんですけど、そのミックスCDの方は、自分の頭の中でストーリーを考えて、それを1枚のCDに詰め込んでるんですね。じゃあ、今度はそれをどうステージで表現しようかってなったときに、『渋谷レゲエ祭』のあのスタイルになったっていう。

—ミックスCDをそのままステージで再現したということですね。ただ、それをアーティストに理解してもらうのって、かなり大変だったんじゃないですか?

KATSUYUKI:むちゃくちゃ大変でした(笑)。

—ですよね(笑)。「え? 1曲だけなの?」ってなりますよね。

KATSUYUKI:『渋谷レゲエ祭』はアーティストさんを主役にするんじゃなくて、お客さんを主役にしたくて、お客さんが欲しがるものを与えてあげたいっていう考えで、アーティストさんにはお願いしてるんです。やっぱり最初は「うーん」っていうのもあったんですけど、1回やってみて、お客さんの反応を肌で感じると、「これ面白いね」って言ってくれますね。まあ、「昔の曲はやりたくない」っていう人もいるんですけど、でも、お客さんはヒットした曲も聴きたいだろうし、そこを調整するのが僕の役割なんです。

—アーティストとの信頼関係があってこそ成り立つものですよね。KATSUYUKIさんって、昔からアーティストというよりは、プロデュースの側に興味があったんですか?

KATSUYUKI:自分がプレイするためにも、まず自分で場所を作らなくちゃいけなかったっていうのが大きいと思います。誰かに呼ばれて、「DJしてください」っていうところからキャリアが始まってるわけじゃなくて、全部自分たちで作って、お客さんも自分たちで集めて、そうやってきた中で今この場所にいるんで、そこが他の人とはちょっと考え方が違うのかもしれないですね。

—確かに、そのバックグランドの違いは大きいですよね。お客さんがアーティストをメインで考えていたら、今の『渋谷レゲエ祭』は成り立たないわけで、つまりは、お客さんの聴き方がアーティストメインから、曲メインに変わったっていうことだと思うんですね。さらに言えば、その背景には着うたの存在があって、それによってお客さんのリスニング志向が「曲メイン」になったんだと思うんです。

KATSUYUKI:確かに、着うたが浸透して、「この曲1位だからダウンロードしてみよう」とか思った人も多いと思うんで、そういう曲も曲順の中に散りばめて歌ってもらったりとかはもちろん考えますね。

—ただ、着うたの普及って功罪両面あると思うんです。いい点は、若い人にもレゲエが浸透するきっかけになったということ。ただ、その一方で、恋愛の歌が多くなったりとか、コマーシャルなものに見られる危険性もあると思うんです。そのバランスに関しては、どのようにお考えですか?

KATSUYUKI:最初は僕もラブソングって未体験ゾーンだったし、「愛? そんなの関係ないじゃん」と思っていたんです。でも、30歳を超えたぐらいから、「愛」っていう言葉を歌うことが恥ずかしくなくなってきて、むしろ愛の大切さをどれだけお客さんに伝えていけるかって考えるようになりましたね。さっきお話したように、大事な人がいなくなってしまうことを目の当たりにするようになると、ちゃんとそういうことも表現しておこうって思うようになって。あと、着うたは携帯の中の世界なので、実際に現場に来てもらって、生で見せてあげるにはどうしたらいいんだろうってことも考えたし、そういったことを全部ひっくるめて『渋谷レゲエ祭』には放り込まれてると思いますね。

—かつてジャマイカと日本を往復していらしたというように、やっぱりレゲエの歴史であり文化っていうのをちゃんと若い人にも伝えるっていうのは、KATSUYUKIさんのひとつの目標としてあると思うんです。ただ、『渋谷RAGGA SWEET COLLECTION』とかを見ていると、メジャーからのリリースということを考えて、今はまず裾野を広げることに意識的に取り組んでいるのかなっていう印象を受けます。

KATSUYUKI:今ここにいるからこそやれること、やらなきゃいけないことっていうのは考えますね。ただ、他の国の音楽は日本に入ってきてるけど、日本の音楽はちゃんと外に届いてるのかって考えたときに、届いてないなっていうのは思うので、そういうのも視野に入れた上で、今ここにいるからこそやれることに挑戦していきたいと思ってますね。

■失敗してもいいと思うんですよ。失敗は絶対ついて回るんで、挑戦することが大切だなって。

—今って日本のレゲエシーンは転換期を迎えていると思うんです。さっき話した着うたは、携帯からスマートフォンに移る中で立ち位置が変わりつつあるし、いろんな理由があったとは思うんですけど、去年は『横浜レゲエ祭』が中止にもなりましたし。

KATSUYUKI:まさしくそうですね。時代を上手く乗りこなしていかないとって常に思ってるんですけど、その点東京は情報量が多くて、時代の流れを間近に感じられる場所だと思うんです。そういう中で、今何をすべきかっていうのを一緒に動いてるチームと考えて、次に向けて発信して行きたいです。

—しかも、時代の流れは年々速くなってますしね。

KATSUYUKI:そうですね。そういう中でどれだけコアなお客さんを残していけるかっていうのは、自分たちの課題でもあるし、どのアーティストさんもそう思ってると思うんです。そのためには、お客さんの期待を裏切らないアーティストじゃないといけないと思います。

—同じレゲエという土俵にいる人間として、去年の『横浜レゲエ祭』の中止っていうのは、どんな印象をもたれましたか?

KATSUYUKI:やっぱり時代はSPICY CHOCOLATEに来てるなって(笑)。

—(笑)。

KATSUYUKI:ポジティブに考えないとね(笑)。時代が流れればいろんな環境は変わっていくし、僕らもそれに合わせていかないとなっていうのは思います。

—そういう中で、今年の『渋谷レゲエ祭』はこれまで開催していたO-EASTからAXへと規模を拡大するわけで、ひとつの大きなチャレンジですよね。

KATSUYUKI:どんどん目標を大きくしていかないと、そこで止まってしまうので、ダメでもともと、チャレンジ精神は常に持っておかないとなって。失敗してもいいと思うんですよ。失敗は絶対ついて回るんで、挑戦することが大切だなって。失敗して痛い目にもたくさんあいましたけど(笑)。

—AXでもこれまでのスタイルを維持するわけですよね?

KATSUYUKI:もちろん。あとはどれだけもっとお祭り感を出せるかが課題だと思ってます。音楽的な部分に関してはぶれないと思うので、もっと他のことにも一つひとつこだわって、テーマパークじゃないですけど、そういうものに向けて行ければいいですね。やっぱり、他と同じじゃダメなんで、「『渋谷レゲエ祭』ならでは」っていうものを作っていかないとなって。

—さらに言えば、来年はSPICY CHOCOLATE結成20周年になるわけですよね。

KATSUYUKI:そうですね。もちろん、『渋谷レゲエ祭』はもっともっと規模を大きくしていきたいと思ってるんですけど、チャートってことで言うとまだ結果を残せていないと思ってて。ジャニーズさんがいて、AKB48さんがいて、K-POPがあってっていう中で、俺たちが愛してる音楽がどこまで奮闘できてるのかって考えたときに、まだまだだと思うんですね。どうやってそこで結果を出すのかっていうのは課題だし、自分の使命だと勝手に思ってるので、そこも含めてもっと大きく、上を向いていきたいですね。

—今の時代において、結果を出すために重要なポイントは何だとお考えですか?

KATSUYUKI:情熱、気持ちですね。僕らみんな人間で、感情を持ってて、血が流れてるので、そこに届けるためにはやっぱり気持ちだと思います。あとはオリジナリティー。人と違った表現方法でいかに届けるか、ですね。最初から結果を求めるやり方だと、そこには政治も出てくると思うし、そうじゃない方法でやった方がスムーズだと思うんです。

—SPICY CHOCOLATEはこれまで常に「人と違うこと」をやり続けてここまで来たわけですもんね。では最後に、ホームグラウンドである渋谷についての想いを話していただけますか?

KATSUYUKI:新宿でも銀座でも六本木でもなく、「渋谷発信」っていうのはこれからも大事にしていきたいですね。僕らは毎月渋谷でレギュラーのイベントを何年間も続けてて、その中の1年に1度のお祭りが『渋谷レゲエ祭』なので、レギュラーのイベントに来てくれるお客さんに集まってもらうっていう、そういうストーリーがないとダメだと思うんです。メジャーなところから入って、アンダーグラウンドのコアな部分を面白いと思う人もいると思うし、その逆もあると思うんで、そこを行き来できるようにするっていうのも、SPICY CHOCOLATEの役割のひとつだと思います。

—ミックスCDにしろ、『渋谷レゲエ祭』にしろ、頭の中にストーリーを描いて、それを情熱を持って実行してきたからこそ、今があるんですね。

KATSUYUKI:はい、それが生きがいになってるんだと思いますね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130401-00000283-cinranet-musi
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ではまた後ほどです。

[ 2013/04/01 ] 最新ニュース | CM(0)

元SDN48チェン・チューが結婚発表「幸せアルヨ」

AKB48の情報を集めました。

 昨年3月にメンバー39人全員が一斉卒業したSDN48のメンバーで中国人タレントのチェン・チュー(26)が31日、東京・秋葉原のAKB48劇場で行われたSDN48一日限定復活公演で、結婚することを発表した。6歳年上の会社役員の日本人男性(32)とは近々入籍予定で同居もこれから。妊娠しておらず、今後も芸能活動を続けていく。



 公演開始から3曲目を歌い終えた場面でチェン・チューは「重大な発表をします。結婚することになりました」と喜びの報告。「エーッ!?」という驚きと共に「おめでとう」コールが飛び交い、事前に知らされていたなかったメンバーからも祝福を受けた。

 お相手の男性とは、飲食店の常連客同士として知り合い、2009年夏に本格的な交際に発展。昨年12月31日にプロポーズされ、結婚を決意したという。チェン・チューいわく、未来の夫は「クレヨンしんちゃん似」で、「誠実で頭がよく面白くてとても気が利く人」。自身の公式ブログのタイトル「チェン・チューの単身赴任日記」を引き合いに「やっと単身赴任から卒業できました! 幸せアルヨ」と喜びを表現した。

 同じ元SDN48のメンバーでは、タレントの大堀恵(29)が昨年12月8日に行われたAKB48劇場7周年特別記念公演にサプライズ出演し、脚本家・金沢達也氏(41)との結婚をサプライズ発表。今年1月1日に入籍した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130331-00000303-oric-ent
※この記事の著作権は配信元に帰属します。



最後まで読んでくれてありがとう。

[ 2013/03/31 ] 最新ニュース | CM(0)


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